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「お嬢様、ようございますか。ちゃんとお聞きくださいまし」

「ばあや、馬車の中でしゃべったりしてると舌を噛むわよ」

あたしはそう言うと、もう何回目かになるかわからないため息をこっそりとかみ殺した。






あたしの名前は、モエ・メアリ・ハリエット。

ごく小さな荘園の領地を持つガリアの中流貴族の娘。
 
父様は領地をどうやってうまく管理するかということと羊のことばかりに興味がある平凡な人間。それに馬に乗ることと釣りくらいが楽しみかしら。騎士として剣をふるうことは得意じゃない。特に最近はお腹のあたりが剣をふるうのに邪魔をするから。

跡取りの兄様も似たようなものだけど、剣を振り回すことは好きみたい。あとは村の娘に声をかけることも。

私の二人の姉様たちはと言えば、おしゃれと少しでもいい条件のところへお嫁に行くことしか興味が無い。そういえば上の姉様は近くの領主の跡継ぎと恋仲になっているんじゃなかったかな。下の姉様にも話があったと思う。

でも、あたしは違う!

小さい頃母様が生きていた頃には、あたしは薬草の世話をしていた母様のお手伝いをしていた。いろいろな薬草を仕分けたりという仕事だ。私がせっせと探してきた薬草で作った薬を母様は惜しげもなく配っていた。
とても感謝されていたことは嬉しかったし、病気が直ったと聞くのは誇らしかった。

でも、母様がはやり病で亡くなってしまうと薬草のことを教えてくれる人がいなくなってしまった。

今、誰かが病気になったときには、隣の村に住んでいる産婆をやっているよぼよぼの婆様から簡単な薬草を貰うくらいのもの。
その薬草だって腹下しや湿布用の薬草がいいところで、母様みたいな詳しい知識を持っているわけではないから、おおきな病気になったりしないようにひたすら神様に祈っているだけだし、もし重い病気にかかったりしたら

・・・・・死ぬしかないのだ。

だからあたしの中では、大きくなったら絶対に薬草のことを勉強して、母様みたいに療法師になるって決めていたわけ。





ある日のこと。

父様が一族の会合から帰ってきた晩に、突然姉たちのうちのどちらか一人に『ロンディウムに行って来い』って命令したの。それがどんな意味があるのか姉様たちはわかっていたから、顔を見合わせてためらっていた。だってあそこに行くってことはただの物見遊山ではない、特別な事情があるんだってみんなわかっていたんだから。

「あたしが行く!」

二人が困惑している間に、声を上げて父様にアピールした。

でもこれには父様はもちろん、兄様や姉様たちもこぞって大反対したわ。ロンディウムに行くにはあたしが小さすぎるからって。

言っとくけど別にあたしの背は小さくないわよ。もう少しで5フィート(153cm)くらいはあるんだし、体重だって・・・・・言わないけどそれなりにあるしね。胸は姉様たちみたいにあるわけじゃないけど、まあこれはその内に育ってきてくれるはずだし。・・・・・たぶんね。

あっと、話が逸れちゃった。

みんなが言っているのは、あたしがロンディウムに行くには幼いから条件に合わないってこと。だって、姉たちのどちらかをロンディウムに行かせようと言うのは、王様の目にとまるようにしなさいということなんだから。

つもり、愛妾になるために行きなさいということ。でも、姉様たちはもう許婚者と言える男の人がいるんだから、『はい、喜んで行きます』なんて言うはずがないわよね。

姉妹のうちであたしはみそっかすだってことはよーく自覚しているけど、姉様たちだって王様の目にとまれるほどの絶世の美女とは言えないと思う。それなりに綺麗だとは思うけど、人の少ない田舎だからそう見えるってことで、ロンディウムに行けばいくらでも洗練された美女はいくらでもいるはず。

ましてロンディウムに住んでいる王様は・・・・・。

「父様、姉様たちに行かせようという話は、父様が一族の長老から命令されてのことでしょう?我が家から一人、一族のために行かせなさいって言われたんでしょう?つまり貧乏くじをひかされたってことよね。でもこの話って、たぶんだめだと思うわよ。だって、王様にはすっごく愛しているご愛妾がいらっしゃるんですもの。よそから入り込む隙間なんてないと思うわ」

「だが寵愛している愛妾と言ったって男だ。女じゃない。ただの伽役にすぎん。それにたとえ女だとしても正式に結婚していなければなんの地位も権利もない」

父様は苦々しげに言って、あたしの意見をあっさりとしりぞけた。でもあたしに『子供が大人の言うことに口出しするな!』なんて言わなかったわね。言えばあたしにロンディウムに行く資格がないってことになるんだもの・・・・・。つまり、言わなかったってことは脈があるってことだわ♪

「王が妃を娶らないのは、今までガリアの平定に力を尽くしていたからで、閨閥に左右されるのを恐れたためだろう。妃の実家が力を持った一族の出だった場合、協力者として期待するより王のすることに口を挟みかねない心配をしなければならなかったからな。
だが、もう世の中が落ち着いたことだし、そろそろ本格的に妃を迎えることも考える時期だろうよ。
お世継ぎは必要だからな。いくら愛着があるといったところで、男では世継ぎは産めん」

「だったら妃を探すとしても、もっと有力な氏族から選び出すんじゃないですか?」

兄様が不思議そうに言い出した。そうよね、自慢じゃないけど、うちの荘園ってたかが知れてるんだから。

一族全体だってそんなに権力をもっているわけでもなく、古くからの由緒正しい家柄ってわけでもないわ。もっと大きな一族の方が王様のお役に立つはずよね。

「だからさっきも言っただろう!王は妃の一族が力を増すことを恐れているんだ。だからそこに我が一族が食い込む余地があるんだ!」

とはいっても、自信ありげな言葉を口にしているわりには、父様も本当は信じていないってことみたい。長老の言うことに逆らうことは出来ないから、せめて形だけでも娘をロンディウムに行かせようってわけなのね。王様の目にとまるはずないってもう決め付けているんじゃないかしら。

つまり、数合わせの賑やかしってことね!

「だったらあたしが行ってもいいんじゃない?姉様たちには決まった人がいるみたいだし、娘だったら誰でもいいんでしょう?」

「・・・・・なんだと?」

父様はじろりと姉様たちを見回すと、姉様たちは肩をすくめて小さくなってた。許婚者のことをまだ父様には言っていなかったんですもの。だから姉様たちはあたしが余計なことを言ったわねってにらんでいたし、あとでこっぴどくしかられるのはわかっていたけど、ここはどんなに悪辣な手を使ってでも望むものを手に入れなくちゃ。

あたしだけがロンディウムに行けるんだって父様にわかってもらわなくちゃいけなかったのよ。だって、あたしが療法師になるための勉強が出来るとしたら、ロンディウムに行く、このチャンスしかないんですもの!

あそこなら学問も文化もこんな田舎の荘園と比べることなんてできないくらいに進んでいるはず。どれくらいの期間、滞在できるかわからないし、勉強させてもらえる師のツテがあるわけでもないけど、ここにいるよりはチャンスはあるはず。ならば逃せないわ!

父様はその場で姉様たちに許婚者のことを問いただして、相手が近隣の比較的裕福な一族の一人だと知るとそれ以上強くは反対しなかった。そうよね、有力な一族と姻戚になるのならこの荘園にとっても、むしろ喜ばしいことなんですもの。黙っていたことには渋っていたけどね。

そうして渋々姉たちに結婚の許可を与え、相手の家に行くことになりそう。たぶん近いうちに姉様たちの結婚式が続きそうだわ!

結局この日、あたしは目的のロンディウム行きを勝ち取った!もっとも父様にはお説教をたーっぷりといただいたし、姉様たちにはお小言のかわりにロンディウムでお土産をたーっぷりと買ってくることをきっちり約束させられて、長い買い物リストを渡されたけど。

でも念願だった勉強が出来るチャンスをもぎ取ったんだから何も言うことはないわ!

それからは毎日が準備で忙しかった。あわただしく支度を整えると、付き添いになった乳母と数人のお供を連れて、あたしたちは馬車でロンディウムに向かうことになったの。






馬車の座席っとて長い時間座っているにはひどく居心地が良くない場所よね。こんなに大変なことだって知らなかったわ。
車輪が小さな意思を踏みつけてもそのたびに大きく揺れてからだが振り回されるから気を張っていなければならないし、小石の固さまでお尻に直接響いてくるようなシロモノなんですもの。
比較的平らなところでも、細かい振動がからだ中に響いてくるわ。薄い(父様のケチ!)座布団を敷いていたってほとんど変わりはないし!!


でもあたしが馬で行きたいと言ったのに却下された。貴族のお嬢様が馬に乗っていくなんてふさわしくないって言って、あたしが馬に乗るのを許してくれなかった。馬の乗り心地の方がまだましなのに。

まあ、愛妾候補として行くんだから、おしとやかに馬車で行くっていうのが正しいんでしょうけど。


気を抜いておしゃべりをしていたら、舌を噛みそうになるから黙っているしかないんだけど、あたしの対面に座っている乳母はよく喋っていられると感心する。
せめて馬車の中には平穏を求めていたいのに、乳母はいつまでたってもぺらぺらと話し続けていて、あたしの忍耐力を試しているみたいだった。

「こういっちゃなんでございますが、男の愛妾をはべらせているとは言っても、彼はいずれ近いうちに王様の前から消えていくに違いないんでございますよ。そこにお嬢様が入る余地があるというわけでございます」

「どういう意味?」

つい聞き返してしまったのだ運のつき。乳母のおしゃべりに火がついてしまった。

「ロンディウムに済んでいるお貴族様たちはあわよくば自分が王様のおそばで重用して欲しいと思っているはずでございますよ。卑しい男の妾なんぞといものが賢しらに王様のおそばにいてご機嫌をとっているなど苦々しいばかりでございましょう。
ここは政治にはまったく口出ししないようなつつましやかな女性がお側でお世話して貰いたいと願っていることでしょう」

確かに話に聞く王様の男の愛妾という人は、どこから来てどんな身分の人間なのか、まったくといっていいほどわかってないらしかった。吟遊詩人だったとか流れ者の娼夫だとか噂されているみたい。

とにかく、数年前に突然現れたこの人は、王様の心を捉えて離さない人らしかった。彼のことを寵愛し始めて以来、王様の周囲には女性の影がなくなってしまったのだから。

「そんな得体の知れない人間をいつまでも身分の高いお方のそばにいさせるわけがありませんよ。きっと誰か知恵の回るものがうまく取り除くはずですよ。宮廷でしたら方法はいくらでもございましょうからね」

あたしはそんなに簡単にいくかしら?と思いながら、それ以上に軽すぎる乳母の口を封じるのを先にすることにした。
だってぺらぺらと軽率に喋り続けている乳母が、いつもの調子のままにロンディウムに着いてからも喋っていたりしたら、それこそとんでもないことになりかねないから。それは主であるあたしの身にも危険が及ぶことになってしまう。

「ねえ、今はまだしも、そんなことをロンディウムについてからは言わないでね」

「なぜでございますか?」

乳母が不思議そうに聞き返してきた。

ああ、やっぱりね。何も考えずにしゃべっていたのか。

「いいこと?ロンディウムでは、この時期あわよくば相手の足を引っ張ってやろうとする人たちがいるってことだったわね?」

乳母は当然というようにうなずいた。

「でもそれってあたしたちにも同じことがある得るかもしれないってことはわかるわよね?つまりこれから行くロンディウムでは王様の目にとまろうと争う人たちの群れに入ることになるんだから。
それなのに『誰かが王様のご愛妾を殺すに違いない』なんてことを軽々しく吹聴していたら、あたしたちがご愛妾を殺そうとする陰謀を知っている、あるいは陰謀をたくらんでいるなんて思われるかもしれないってことよ」

「まさか!旦那様のような―――申し訳ないことを口にしますが―――吹けば飛ぶような弱小な一族にそんなだいそれたことが出来るはずないじゃありませんか!誰でもわかることでございますよ。そんなことをしても利益になることなどまったくないのでございますから」

乳母は仰天して叫んだわ。

・・・・・ぜんぜん考えなくてしゃべってたわけね。あたしはまた一つため息をかみ殺した。

「あたしたちは自分たちが陰謀を起こすなんてこと考えもしないってことはわかってるわ。でも王様はそれを知らないわ。ロンディウムに住んでいる貴族たちもね。あたしたちのちょっとした失言が父様や一族全部の危機を招きかねないってことなのよ。
まして王様のライバルを蹴落として一人でも少なくするためなら、たとえどんな小さな一族のものであっても容赦はしないでしょうよ」

乳母はぎょっとした顔をして考え込んでいたけど、そのまま青い顔になってずーっと黙り込んでしまった。あたししかいない馬車の中でも、下手に口を開いたらまずいことになりかねないって思ったわけね。相変わらず極端なんだから。

まあ確かにどこでも声の大きな乳母は、おしゃべりに夢中になるたちだから、ここから練習してもらってもいいかもしれない。それにその後の道中では馬車の中が静かでよかったものね。







ロンディウムへの道の途中、天気はとてもよかった。雨はほとんど降らなかったし、風もひどくなかった。おかげで野宿も苦にならなかった。それに予定よりも早くロンディウムに到着することができてほっとなった。

喜び勇んでやってきたけど、あたしにとってこの度は生まれて初めて住んでいた荘園を長く離れるものだったから、気がつかないうちに緊張していたのかもしれない。

びっくりするほど高くそびえたつ大きな城門を入ると、あたしは好奇心を抑えられなくて、馬車の窓から身を乗り出してこの街の様子を見ずにはいられなかった。貴族の娘がお行儀悪いって隣で乳母が小言をいっているのは耳をふさいで無視無視。

ロンディウムの繁栄ぶりは、城門を入るとすぐにわかることになった。
広くてきちんと舗装されている道路。道沿いににぎやかに並んでいる小商人たちの色鮮やかなテント。けたたましいほどの声で客を呼び込んでいる、
その活気と騒々しさ。いい匂いを漂わせている美味しそうな食べ物や見たこともないような綺麗で珍しい装飾品なんかも目に付いた。売られている品物の数も種類も豊富で、次々と現れる品々に目を奪われてしまっていた。

もし馬車に乗ってなくて歩いているのだったら、『あれは何?』『これはどうやって食べるもの?』なんて聞いて回って、市場から離れられなくなっていたと思うわ。きってと両手には買ったお菓子を握り締めて、ね!

布地を商う店先に並んでいたのは、きっと姉様たちなら欲しくなるに違いないような様々な種類の布地だった。
モスリンやどっしりした錦織の数々。それに遠くアシア(アジアのこと)から運ばれてきたらしい絹まで並べられていた!絶対に買ってきなさいと念を押されていたのはこれなのね。

あたしたちの馬車が通っている道には見かけなかったけど、どうやらすぐ向こうの区画では牛や馬などの家畜を売買しているところがあるらしくて、泣き声が遠くから聞こえていた。市場には馬具農具を扱っている店が並んでいる区画もあったし。

店を開いている商人たちは、それぞれが生き生きとして商売をしていたし、大人たちの間をすり抜けて走っていく子供たちの顔は血色がよく、いかにも食べるものに不自由していないらしい健康そうな顔をして楽しそうだった。

やっぱりガリアの首都、ロンディウムは違うわね!

政治のことを知らないあたしだって、これがここを治めている王様のおかげなんだってことはよくかわるもの。

四年前、大陸から『海の狼』たちがやってきてこのガリアを占領しようとして襲ってきたけれど、それを撃破しガリアから追い払ったのが現在のブリガンテスの王様だった。その勝利は、戦いに参加して必死に戦っていた者にとって今も炉辺での自慢話になっていた。

これまでは王様は戦争の後始末のために多忙な日々を過ごしていたみたいだけど、戦勝五周年を節目として、にわかに身辺問題を取りざたされ始めているらしかった。

国の内外が落ち着いた今、なんとか妃を娶って世継ぎを作って貰いたいと重臣たちが圧力をかけているらしいの。
それであたしの一族も動いたってわけ。なんとか自分たちの一族から妃を出したい、そうでなければせめて愛妾を出してがりあでの発言権を大きくしたい。そう考えた。

今回そんな思惑のおかげであたしがロンディウムに来られたのだから、なにやらまだ見ぬ王様に恩義を感じてしまうくらいだわ!